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1km超で通信可能な「Wi-Fi HaLow」こと「IEEE 802.11ah」、1GHz未満のISM Bandを利用

【IoT時代の無線通信技術「LPWA」とは?】(第8回)

 LPWA、あるいはLPWANと呼ばれる規格は、Low Power Wide Area(もしくはLow Power Wide Area Network)の略だ。

 この規格、2016年ごろから、まず海外で次第に普及が始まり、2017年あたりから、日本でも取り組むベンダーやメーカーが増えてきた。2018年には一斉に開花……とまでは行かないものの、現実に商用サービスはすでに始まっている状況だ。

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2017年12月31日に標準化が完了した「IEEE 802.11ah」

 LPWA関連規格として最初に取り上げたSigFoxとLoRaも、免許が不要なアンライセンスバンドではあるのだが、今週からは、ISM Bandを利用するアンライセンスバンドの各規格を順次紹介していこう。その最初としては、Wi-Fiの連載の中であえて取り上げていなかった「IEEE 802.11ah」である。

 Wi-Fi Allianceでは「Wi-Fi HaLow」(「ヘイロー」と発音)という通り名が付いているIEEE 802.11ahだが、2016年1月の発表から既に3年が経過するにもかかわらず、この通り名は、ほとんど使われていないように思う。

 IEEE 802.11ahと呼ぶからには、もちろんIEEEにより標準化が行われている。当初は2016年中の標準化完了が見込まれていたものの、IEEEの常として標準化は若干遅れ、Draft 11.00が2016年9月30日に発行、これが同10月1日に「802 EC(Executive Committee)」で承認され、最終的に翌2017年12月7日にBoardによって承認され、12月31日に標準化が完了した。

 ギリギリ2016年ということになるが「IEEE 802.11-2016」には収録されず、IEEE 802.11-2016への改正(Amendment)というかたちでリリースされている。

好条件なら1.5kmで通信可能、転送速度は150K~4444.4Kbps

 さてそのIEEE 802.11ahがどのようなものかというと、MAC層以上は基本的にIEEE 802.11と互換を持つ(後述)一方で、PHY層に対しては、以下のような変更を行ったものとなっている。

  • 周波数帯として1GHz未満のISM Bandを利用
  • バンド幅に新たに1/2MHzを追加(4/8/16MHzもサポート)。
  • 変調方式にはOFDMを採用。ただし、IEEE 802.11acと比べてクロックを10倍遅くすることで、シンボルの送信間隔を4μs→40μsに延長
  • OFDMのサブキャリア数は同じままとし、帯域そのものも10分の1に
  • MIMO+MU-MIMOをサポートし、最大で4ストリームに対応。ただし1ストリームが必須で、2ストリーム以上はオプション扱い

 実際に利用される周波数帯と電力については、以下の表のように規定されている。この辺りは、ほかのISM Bandを利用する規格とも共通しており、これしか選択しようがないという話でもある。

IEEE 802.11ah-2016のTable D-3aより抜粋

 この結果として、速度はかなり遅めである。例えば韓国は6.5MHz、シンガポールは3MHzと5MHzしか帯域がそもそも取れないから、バンド幅を4MHzにすると1チャネル取るのがやっと、ということになる。現実問題としては2MHzを使うのも難しく、1MHzで利用することになると思われる。

 通信速度は150Kbps(BPSK 1/2、1ストリーム、1MHz、Long Guard Interval)から、347Mbps(256-QAM 5/6、4ストリーム、16MHz、Short Guard Interval)までとずいぶん幅があるが、そもそも16MHzものバンド幅を取れるのは米国だけで、ほかの国では8MHzですら取れるところは少ない。

 MIMOにしても、アクセスポイントはともかくクライアントが複数本のアンテナを用意するのはかなり難しい。となると、結局それほど性能を上げる手段はないことになる。実際の周波数帯割り当てを見てみると、例えば日本の場合は1MHzで1/3/5/7/9/11/13/15/17/19/21という11チャンネル構成にする、というプランだ。この場合にアンテナ1本のケースでは、以下のように転送速度は150K~4444.4Kbpsの範囲ということになる。

IEEE 802.11ah-2016のTable 23-38より抜粋

 あとは、どのあたりまでの変調方式をクライアント側でサポートできるかに掛かってくるところだろう。この点は消費電力との兼ね合いもあるので、おそらく複数の変調方式を選択できるようになるのではないかと思われる。

 一方の到達距離は、当然速度との兼ね合いでもあるのだが、フルスピードが出るのは、1ストリームの場合でおおむね300m未満で、750mまではおよそ半分程度、1000m以上では4分の1になり、理論上は1500mを超える程度までは通信自体は可能との見積もりもある。ただ、1Kmを超えるのは条件がいい場合で、実際にはこの半分だろうという見方もある。

待機時間や接続デバイス数、コントロールフレーム効率などを改善

 MAC層は、基本的にはIEEE 802.11と同じとしつつも、絶対的な帯域が減ることから効率性を多少改善すべく、いくつかの追加機能が行われた。

 例えば「NDP(Null Data Packet)」は、コントロールフレームを送る際の効率を改善するもので、従来のACKであればデータフレームの20%を占有してしまうものを、NDP ACKにすることで6%まで減らしている。また、ACKを返すことそのものもオーバーヘッドとなるので、IEEE 802.11nで追加された「RD(Reverse Direction Protocol)」を拡張した「BDT(Bidirectional TXOP)」を搭載し、データ交換時にACKを省くことでも効率を改善している。

 効率性とは別の面での拡張もある。IEEE 802.11では従来、STA(一つのデバイスに接続できるノードの上限)が2007とされていたが、IEEE 802.11ahではこれを8000以上に拡張した。もちろんこんなに多くのデバイスが同時に繋がると干渉が急増すると予測されるため、これに対応して「RAW(Restricted Access Window)」の構造を少し変更している。

 省電力に関しても工夫が行われた。従来、「Max Idle Period」(最大待機時間)は16bitで示され、単位は1024msなので、最大待機時間は18時間38分ほどになっていた。これに対してIEEE 802.11ahでは、16bit幅ながら先頭2bitを指数とし、1・10・10^2・10^4として定義。結果、最大では1.024×16383×10^4秒≒5.3年という、極端に長いMax Idle Periodが指定可能になった。

 これまでだと1日に1回以下の指定が不可能だったため、特にセンサーノードなどでは消費電力低減に効果的である。他にも「TWT(Target Wake Time)」という機能が追加された。これはTWTの間隔でしかビーコンを受信しないようにすることで、消費電力を抑えるという仕組みだ。

クライアント間のメッシュ接続は断念、リレーで電波到達範囲を拡張

 ところで、Wi-Fiは原則Peer to Peerの接続であり、アクセスポイントとデバイスが繋がるかたちとなるわけだが、IoTデバイスでは設置場所の関係などもある上に出力も低めだから、必ずしも直接接続できるとは限らない。

 それこそメッシュWi-Fiが広く普及すれば、これを利用するというアイディアもあったのだろうが、以前、こちらでもご紹介した通り、IEEE 802.11sは標準化こそ終わったものの広範に使われているとは言い難い。

 また最近は、Qualcommの「Wi-Fi SON」や、Wi-Fi Allianceの「EasyMesh」などが出てきているが、これらはいずれもアクセスポイント同士をメッシュ化するもので、クライアント同士でメッシュ接続ができるものではない。クライアント同士が中継を行うマルチホップの機能をクライアント側に持たせることは、IEEE 802.11ahでもさすがに断念された。

 その代わり、リレーと呼ばれる中継用のルーターの機能を仕様化している。もともとリレーそのものはIEEE 802.11に含まれているもので、製品としてもRange Extenderなどの名称で広く販売されている。この機能を使うことで、直接電波が到達することが難しい場所にも対応しよう、というものだ。

 このほか、1台のルーターに数千ものデバイスが接続されていると、仮にルーターが再起動した場合に、全てのデバイスとの再接続が必要となり、これで帯域が輻輳を起こす可能性がある。これに対して「Centralized Authentication」(ルーターがランダムに番号を選び、その番号に該当するデバイスを順に再接続する)と「Distributed Authentication」(各々のデバイスがランダムの時間を待機してから接続を行い、失敗したら待ち時間を増やして再度繰り返す)の2つが候補となり、最終的に両方の方式がサポートされた。

2018年11月に対応チップが登場、「802.11ah推進協議会」が国内で発足も、コストが課題?

 そのIEEE 802.11ah、2016年に標準化は完了したものの、対応チップそのものがない状況が続き、市場はさっぱり立ち上がらなかった。最初にこのマーケットに参入したのはAntcorで、2014年に早くもIEEE 802.11ahのIPを発表していたが、こちらは標準化を待たずに会社そのものが消えている。

 米Newracomは2016年10月、Draft 8.0に準拠したチップを発表したが、なかなかこれが正式版対応とならなかったこともあり、様子見の状況が続いていた。ただ同社は2018年に入って「NCR7292」や、これを搭載した評価ボードを発表している。ほかにMorse MicroなどもIEEE 802.11ah向けチップセットに名乗りを上げている。

IEEE 802.11ahドラフト8.0に対応した米Newracomの評価用キット「NRC7292」。米国では既発売

 そうした機運を受けてか、2018年11月には国内で「802.11ah推進協議会」が発足しており、積極的に展開を考えているようではあるが、果たしてどこまで普及するのかは今一つ見えない。このニュースにある「チップベンダーが本気で作れば11acのチップに11ahを組み込める。」との言葉は事実その通りなのだが、問題は、そうするメリットがチップベンダーの側にあるかどうか、である。

 技術的に言えば、これが2.4GHzや5GHzの帯域であれば話は非常に簡単である。昨今のWi-Fiのモデムは、もうアナログ回路ではなく「SDR(Software Defined Radio)」の構成を取っているものの方が多く、MAC層のプロトコルをプログラミングすれば、すぐに対応できるからだ(検証の手間はこの際考えないことにする)。

 ところがSub 1GHzとなると、話はいろいろ変わってくる。理論上はSDRでカバーできるとは言っても、このあたりになると信号の振る舞いもだいぶ変わってくるし、アナログ部品(輻射防止のフィルター類など)の対応なども必要だ。

 普通に考えれば、既存の2.4GHz向けのものとは別に、1GHz向けのモデムをもう1つ入れる方が簡単だが、これは当然コストに跳ね返る。この後の連載で紹介していくISM Bandを使ったほかのLPWA規格にも言えることだが、アクセスポイントなりクライアントなりのチップセットへ、1GHz帯のモデムを追加するためのコスト増を正当化するだけの理由を提示できず、結果として独自チップセットのかたちで実装することになってしまい、コストが下がらず普及しない、という壁に、IEEE 802.11ahも直面しているように思われる。

 これを崩すのに十分な何らかの動機を、Wi-Fi Allianceなり802.11ah推進協議会なりが提示できないと、広範な普及は難しいだろうというのが、筆者としての見立てである。

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大原 雄介

フリーのテクニカルライター。CPUやメモリ、チップセットから通信関係、OS、データベース、医療関係まで得意分野は多岐に渡る。ホームページはhttp://www.yusuke-ohara.com/