インタビュー

クアルコムジャパン須永社長に聞く、日本のケータイ黎明期秘話と5Gへの課題

 今年7月1日で、創業35周年を迎えた米クアルコム。今ではスマートフォンの心臓部である「Snapdragon」シリーズでも知られる同社は、携帯電話向けの通信技術を数多く開発してきた存在だ。

 同社の日本法人であるクアルコムジャパンの代表社長である須永順子氏は、日本法人が設立される1年前にクアルコムへ入り、「日本法人第1号社員」となった人物。つまり、日本国内の携帯電話サービスの黎明期を知るとともに、これからの5G時代をリードするひとりというキーパーソンだ。

須永社長

 今回、本誌「ケータイ Watch」の創刊20周年を受け、インタビューに応じていただいた須永氏に、携帯電話サービスが始まったころの秘話を教えてもらうとともに、日本における5Gサービスについて展望を聞いた。

1998年4月、クアルコムが日本へやってくる

――須永さんは日本法人の立ち上げからクアルコムで活動されてきたそうですね。当時はどういった経緯でジョインされたのですか?

須永氏
 日本法人のクアルコムジャパンができる1年前の1997年、設立準備段階で入社しましたね。

 もともとはNECにいたんです。クアルコムに入る前の1993年に、米国に赴任して、IS-54、IS-136(どちらも第2世代の携帯電話向け通信規格)と呼ばれるTDMA方式のチップセットの開発やプロモーションに携わっていました。

 ちょうど、IS-95(その後、日本でcdmaOneと呼ばれる方式)が登場したころです。

 当時、AT&T系が、分割後、IS-54方式を採用する方針を明らかにしており、「これは(ビジネスとして)いける」と手ごたえを感じながら、米国のNEC、そして日本メーカーの、たとえば三菱さんやシャープさん向けに仕事をしていましたね……それから2年くらい経って、日本に戻りました。

 米国赴任当時から、サンディエゴにIS-95という方式を手掛ける変わった会社があるぞ、どうやら自前で全部やっているらしいぞ、という話を耳にしていました。

 クアルコムが開発した方式は、軍事技術をもとにしたもので、当時、「ポータブルで稼働するわけがない」とも評されていました。そのためか、クアルコムはIS-95が民生用途に使えることを証明するために半導体も、ネットワーク敷設、携帯電話端末も自前で開発していたのです。

――なるほど。

須永氏
 で、どうも日本法人を立ち上げるから人を欲していると。NEC時代にお付き合いのあったイスラエルに拠点をおくとある企業の方から推薦されて。

――そ、それはまたすごい方向からの推薦状ですね。

須永氏
 ですよね(笑)。

 当時はまだIS-95という方式も、クアルコムという会社もちゃんと業績を上げていけるか、誰もわからなかった時期なんです。

 そんなところへ入社していいのか、相当迷いました。

 でも、私自身、しがらみもなくてどうにかなると思ったのと、推薦してくれた方とも良い関係でしたので、クアルコムの面接を受けることにして、サンディエゴ(クアルコムの本社がある都市)で当時の社長を含め、たくさんの幹部と会いました。

 それらの面接を終え帰国し結果を待っていたら、最後に「松本の元へ行け」と。

――松本さん……あの松本徹三さんですか?(クアルコムジャパン初代社長、その後クアルコム米国上級副社長、ソフトバンク副社長)

須永氏
 そうです。1997年の3月1日でした。そして合格して。

 あとから聞いた話だと、当時のクアルコムはライセンス関連で知名度が上がっていったところもあって、世間的に……傲慢と言いますか、そんなふうに見られていたんです。

 つまり「須永はソフトな人当たり。日本法人の第1号社員としてちょうど良いんじゃないか」と評されていたようです(笑)。

日本でのCDMAサービスが立ち上がるときに

――そうして入社し、設立されたクアルコムジャパン。これが1998年4月ですね。そして日本でのCDMA方式のサービスがスタートしたのは、同年7月だそうですね。

須永氏
 はい、入社してすぐ幸運にも、もうお客さまがいた、という状況でした。

 当時、MSM2300というチップセットをもとに、IS-95方式の通信サービスを開発中で、私自身は、お客さまからのサポートリクエストを本社に繋ぐですとか……通信事業者のIDOさん、DDIさんとの関係づくりにも携わりました。

 そのとき、やり取りする相手の中には、高橋誠さん(KDDI現社長)もいらっしゃったんですよ。

――あ、そうなんですか!

須永氏

 私の次に入社したのは、技術サポートを担う方でした。私のクアルコム入社のきっかけとなったイスラエル企業の製品を扱っていた代理店の方で……松本と一緒に「この方に来てほしい」と代理店の社長さんへお願いに行きましたね。さらにもうひとり、モトローラから営業担当が入社しました。

 これでクアルコムジャパンの営業、技術、マーケティングという3本柱で、日本のCDMAサービスのサポート体制が整ったことになります。

――日本法人の体制を整備しつつ、現在のKDDIに繋がるサービスも支援したと。

須永氏
 なんとかcdmaOneに間に合わせることができました。

 ところが当時、「パイロットポリューション」という問題が起きたんです。携帯電話がとにかく電波をつかめなくなったと。

――「パイロットポリューション」とはどういったものだったのでしょう?

須永氏
 基地局からのパイロット信号と呼ばれるものがたくさん見えすぎている、とでもいう状態です。携帯電話からすると、どこの基地局の信号をつかめばよいか、わからない。

――だから、電波をつかめない、繋がらないと……それが商用サービス開始前ですか?

須永氏
 いえ、直後だったと思います。本末転倒な状況ですよね。

 パナソニックさんから指摘を受けた問題で、商用サービス開始後に判明しました。チップセットなどのネットワークのテストの段階ではわかっていなかったのです。

 ただ、いつもそうなっているわけではなく、どこかを訪れたときにそんな状況になってしまう。

 パナソニックさんはじめメーカーさんがとても協力的で、クアルコムに数多くのデータを提供してくれて、双方のエンジニアが協力して、2週間程度で解消にこぎつけました。

 すでにFOTA(Firmware Over-The-Air、通信経由でファームウェアを書き換える)という概念はありました。そのおかげで無事、解消されたのです。まだ当時はユーザーがとても少なかったんでしょうね(笑)、事なきを得ました。

――いや、それにしても胃が痛くなるエピソードですね……。

須永氏
 そうですよね(笑)。もちろんキャリアさんの協力なしにも解決できませんでしたし、この件は、クアルコム本社にとって日本のお客さまに対する信頼感に繋がった。日本市場に重みを置くきっかけになったのです。

クアルコムがW-CDMAに参入した影響は

――これまた本誌創刊前ですが、1999年3月、クアルコムとエリクソンが合意して、CDMAが3Gの基本方式のひとつに含まれるようになったそうですね。この件は、須永さんには直接関わりはなかったと思いますが、日本市場にどんな影響をもたらしたのでしょうか?

須永氏
 はい、直接関わりはなかったです。

 ただ、クアルコムジャパンは、国内メーカーが多く存在すること、日本市場が一定の規模があることから、設立当初から半導体ビジネスに重きを置いていました。

 つまりエリクソンさんとの合意がなければ、クアルコムジャパンは、3G以降、何を手掛けていたかわからないほどの出来事なんです。もちろん業務の中には技術標準や、国内での周波数政策に関する取り組みなどがありますが、半導体ビジネスは本当に大きな影響を受けたと思います。

――2005年に、NTTドコモから発表された「SA700iS」がクアルコム製チップ(MSM6250)を搭載していましたね。発表会場でもそこが話題になった記憶があります。

須永氏
 はい、その端末からW-CDMA対応になって。

 クアルコムがW-CDMA分野へ参入する際には、たとえば消費電力関連の改善では、日本メーカーともやり取りして本当に助けていただきました。

 W-CDMA対応のチップセットを開発した際には、現在、米国本社のCEOを務めるスティーブ・モレンコフが当時、当社におけるW-CDMA分野のエンジニアのトップだったんです。かつてはよく日本へやってきて、国内メーカー各社さんを一緒におうかがいしました。こちらの人数が多くて、マイクロバスで移動したこともありました。

GPSが携帯電話に載った!

――いまや、携帯電話、スマートフォンに欠かせないGPS機能ですが、その立役者と言えばやはり、auとクアルコム、という印象があります。

須永氏
 それまではCDMA方式での携帯電話の位置測位はいわゆる三角測量でした。ある程度場所はわかるという形です。

 でも、モバイルだともっと正確な場所を知りたくなりますよね。

――それは確かに。

須永氏
 そういう単純な欲求で、導入されることになったのでしょう。

 おそらく候補はいくつかある中から、クアルコムはSnapTrackという企業を2000年1月に買収しています。

 確か当時、NTTドコモさんがSnapTrackを買収するのではないかという噂話があったのですが、ほどなくしてクアルコムが買収したんですよね。

――そんなどんでん返しがあったんですか……!

au、GPSナビを実現

須永氏
 そうして登場したチップセットがMSM3300です。

――auが2002年3月に発売した「C3003P」に搭載されたものですね。

須永氏
 はい、MSM3300では、当時のアプリケーションプラットフォームであるBREW(ブリュー)を初めて搭載したモデルでもありました。

――ハードウェアとしてGPSをサポートし、さらにアプリの環境もあったと。

須永氏
 当社の野崎孝幸が当時、アプリベンダ―さんを開拓する任務でしたね。

野崎氏
 そうなんです。BREWは、チップの能力をサードパーティに開放するというべきものでした。当時の代表格はやはりGPSをうまく活用する、というものですね。

 その際には、ナビタイムの大西さん(大西 啓介氏、ナビタイム創業者・代表取締役社長兼CEO)にお会いする機会があって、電子コンパス対応の「C3003P」で使えるようになったのです。2002年時点で、方向に従って地図が回転するのは、本当に画期的でした。

須永氏
 MSM3300は、そしてココセコムの端末でも採用されていたんですよ。

――ココセコムのWebサイトには、1億円相当の宝石が入ったバッグが盗難に遭ったものの、ココセコムのおかげで発見し、無事だったというエピソードが載っていますね。

須永氏
 当時のココセコムの総責任者が前田さん(後のセコム代表取締役社長・会長の前田修司氏)で、機能面のブラッシュアップでは本当に鍛えていただきました。

 今も続いているサービスというのは本当に嬉しいですし、法人での活用例としても歴史の節目だったと思います。

日本の5G、課題は?

――ここまでは過去のお話でしたが、今後についてもぜひお聞かせください。折しも日本では5Gサービスが始まりました。しかしエリアはまだまだ限られています。またスマートフォンの販売では法改正で割引の上限額が設定されています。率直に、現状をどのように受け止めていますか?

須永氏
 率直に言えば、残念です。リスクを恐れていると言いますか、新しい技術の導入がどれだけいろんな可能性を生み出すのか、皆さん忘れておられるのかな? とまで思います。

 たとえばGSMAのような世界のモバイル関連の業界団体や、IDCのような調査会社から加入者数の予測が発表されています。これは現状、端末数とイコールと考えてよいものだと思います。

 それを見ると、2020年の端末数、5Gは2億台と言われているんです。

――2億台、ですか。日本では、NTTドコモが今年度の目標を250万契約としています。

須永氏
 2億台のうち、1億台はざっと中国です。

 クアルコムからも2億台という数字は、今年の見通しとして出しています。この数字は、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の前後でも、実は変化がありません。携帯電話市場全体で見ると、もしかしたらスローダウンするかもしれませんが、5Gだけでの見通しは変わってないんです。

 日本は二桁違いますよね。韓国はすでに500万を超えています。

 中国はいち早く、5Gを使った遠隔医療システムやエンターテイメントなど、コロナ禍でも威力を発揮するアプリケーションを開発し、実用化しています。韓国もエンタメ系を中心にいろんなアプリが出てきています。

 サービスエリアは狭くとも、同時に5G対応スマートフォンは、その搭載されるカメラ、ディスプレイ、チップセット、AIなど、いろんな技術が最先端のものになっているわけです。1年前のハイエンドスマホと比べれば、その違いは通信方式だけではないんですよね。

――確かにその通りです。

須永氏
 そういったことが忘れ去られています。端末を買えば、2年~3年は使われるわけです。その間にサービスエリアは拡充されますよね。いま、エリアが狭いことは5Gスマホを買わない理由にはならない、と思うのです。

 今の5Gスマホは、新しい価値を生み出すものとして、消費者がもっと使う環境にしないと、日本は“後進国”というレッテルを貼られてしまいかねません。

――まさにクアルコム本社からそのような視線を向けられそうです。

須永氏
 日本では5Gに限らず、ハイエンド端末のシェアが徐々に落ちています。これは、ハイエンド端末の差別化が難しくなってきた、「ちょうどよいスマホ」がミッドティアになってきたなど、他の要因もあるかとは思います。

 そこはクアルコムにとっての課題でもあると思います。

――確かに、本誌が以前取材した中で、たとえば小林史明議員は「端末価格が安くなる」としていました。それはハイエンドから徐々に中下位機種への移行が進むというような話と受け止めました。

須永氏
 「もうこれでいい」と思ってはいけないですよね。やはり今は、5Gを後押しするような政策が効くと思っています。たとえば端末購入補助が現状の2万円が、4万円になれば、皆さん、その分ちょっと良いものを選ばれるかもしれません。

 「イノベーションを生む」「Society 5.0」を目指すのであれば、一般のユーザーにとって最新技術を埋め込まれた製品を使うことが必要ではないか、と思うのです。

――それは確かに。

須永氏

 携帯電話の新たなものが普及しないと、価格は下がりません。特に半導体は、ですね。

 世界で2億台も出るということですから、徐々にスケールメリットは効いてきます。日本もその恩恵を受けるでしょう。

――いわば「おこぼれ」ですね。

須永氏
 はい、そうなんです。スケールメリットがわかりやすく出るのは、やはりコンシューマー向け製品です。

 5Gには、ローカル5G、IoTなどでの利用も期待されており、クアルコムでもそうした分野に向けた製品を開発しています。でも、そこから5Gが広がっていくというわけではないとも思っています。

 普段使いのもので、5Gの便利さ、ちょっとした気づき、価値観への影響が5Gの世界観を作ると思うんです。それが教育にも活用され、ローカル5Gで活用され、自動車間の通信(セルラーV2X)などに用いられる。

 コンシューマーで徐々に浸透して、それが社会に使われていく。順番があると思います。ある日、突然、法人向けで5Gがドン! と活用されることはないのかなと。

――確かにその通りですね。

須永氏
 もっと多くの人が5Gに触れられるような施策になるといいなと思います。

 もちろんハイエンドはどちらかと言えば、アーリーアダプター向けでしょう。広がるには、ミッドティアへ落とし込むことが必要です。

 クアルコムとしては、早ければ今年後半には、プレミアムティアから5Gをよりミッドティア以下へ広げていくロードマップを持っています。

 アプリケーションプロセッサとモデムを一体化した製品をどんどん出していく。ミッドティアへの5Gの広がりを加速していきます。

――社会としての取り組みと、クアルコム自身が進める取り組みと。

須永氏
 いわば両輪になればと思っています。私たちも努力します。メーカーさん、キャリアさんも力を尽くされているでしょう。“お求めやすい5G”を作っていきます。ただ民間が頑張るだけではなくて、政策も5Gを後押ししてほしいですね。

――Society 5.0に向けて、と政府は掲げていますもんね。

須永氏
 現状は、「端末は民間企業で努力しなさい」だけです。それを言い放っているのは日本ぐらいかもしれません。

――なるほど。

須永氏
 総務省では、5Gの次、Beyond 5Gの話も出てきていますね。日本で主導権を取っていきましょうと。ここで「グローバルファースト」、つまりグローバルに軸足を置いていく、という考え方が出てきたと聞いています。これは、とても楽しみです。

 ただし、たとえばLTEをきちんと実装しなければ5Gはきちんと導入できません。つまり5Gをきっちり立ち上げなければBeyond 5G、いわゆる6Gに取り組むのも難しいのでは? と思います。

 5Gにおいて世界の動きをキャッチアップするよう取り組むことと、Beyond 5G(6G)に取り組むことは同じレベルで議論してほしいですね。

――本日はありがとうございました。